Shack 無線小屋
建築まで
ごまがらクラブが結成された1976年、故JA6UQZ(山本長官)の自宅を設置場所として開局。 10W出力でフィールドデイコンテスト(FDContest)を主体に移動局として活動していたので、常設場所は重要では無かった。
学生から社会人へ部員が変化し、部員宅に上がっているアンテナを取り外して山に運び設営し、FDContestに参加する体力と時間が無くなっていた。 山の上に常設の無線小屋を作りたい。 DXを追いかけたい!という願いが無線小屋建築計画となった。
当時、まだ別宅シャックは珍しかったが、津久見という土地柄が計画を可能にさせたのだと思う。 津久見は東側が海に面しているだけで、残り三方は急峻な山に囲まれている。 自宅で高いタワーを建てたとしても電波の入りは悪いだろうと素人にもわかる地形。 だが、津久見を取り囲んだ山には鉱山道路や林道が走り、見晴らしの良い場所はありそうだった。 そして、我々が熱中していたFDContestは山の上での運用が主体で、発電機での運用も慣れていた。
パイプ車庫でのコンテスト運用。 JR6BSCパイプ車庫でのコンテスト運用。
寝ぼけ顔のJH6WRW
1984年頃からいろんな林道で無線小屋を建築できないかと調査していたところ、旧臼津峠から林道が作られているのは知っていたが、それが津久見臼杵の尾根を越えたところまで伸びたのを知って、1986年地域区長に相談し、使用する許可を口頭で頂いた。 開墾作業を皆で行ったが、私(CKX)の父も作業に参加した。 父はボーイスカウト活動を長年やっていたのでアウトドア大好きだが、作業した翌日寝坊した私を父が起こしてくれた。目覚めてびっくり! 声は父の声だが顔が違うぅ なんと、開墾した場所にハゼの木があったようで顔がハゼ負けで腫れ上がっていた。 そんな苦労をしながら開墾し、その夏、雑木林でFDContestに参加した。 ハウス建築する資金がまだ無くパイプ車庫を建てて運用ベースにした。
ハウス建築
やはり、常設の小屋が欲しいと中古のユニットハウスを建築することになり、建築土木関連の仕事をしている部員が中古ハウスを見つけてきた。中古建賃込み だったが、建築にはおっちゃんが二人来ただけだった中古で建て賃込み 25万円だった。 しかし、おっちゃんが二人来ただけで、部員が人力でブロックやハウスの部品を運び上げた。 結構急峻な獣道をブロックなどを抱えて上がるのは大変だった。 下ネタ満載の大工のおっちゃん 一番重たかったのは、200Vを100Vに変換するトランスだった。出来たての第一ハウスでBSCと卓二
完成した無線小屋古谷 本田 黒岩 小手川 黒枝ら
作業に参加した部員は10名くらいだったと思う。
あれから20年以上経過しているが、ユニットハウスは丈夫! 猛烈な風や湿気、暑さ寒さにもめげず頑張っている。 出入り口はやや傷んできたが断熱材がめいっぱい詰まっている鉄骨系ユニットハウス快適だ。
林道からハウスまでの道は壊れやすく、杭を作りその杭を使って階段を作った。岩が脆くすぐに崩れる
第2ハウス建築
ハウス建築から10年 個人コールでDXを追いかける程度しか無線小屋を使っていなかった。 アンテナが貧弱なせいもあるが、彼女が出来たり結婚したり、車や他の趣味にみんな熱中していた時期だったのだろう。
HVEが転職し放射線技師になるべく学生になって時間が出来たため、林道からハウスまでに道を作ろうということになった。 とても無理そうな話だったが、1995年にJR6HVEとその一族で林道からハウスまでの取り付け道路を開通させた。 パワーショベルとトラックで5日ほどで作り上げた。 急峻なため4WDでないと厳しい道ではあるが、食料や水を運ぶのにとても便利になった。 ちょうどその頃台風により支線式タワーが崩壊し、その保険金を基にクランクアップタワーを2基新設し、マルチバンドで電波を出せる環境が出来てきた。新築の第2ハウスとJE6LHM
そして、1998年にWWDXContestに初めてエントリーして再びコンテスト熱が再燃した。
コンテストに出てみると、6畳ひとまでは休憩場所も無くJE6LHMとCKX資金で第2ハウスを建築することになった。
ロフト付きのおしゃれな小屋を建てようかと計画していたが、目立つ小屋は悪戯される危険性が高いということで同じような6畳のハウスとなった。 新品で30万円ほどだっただろうか、でも第一ハウスと違ってこちらは木質系。 壁の造りがちゃちで、断熱材が入っていないので冬はかなり寒い。 床も薄くて重いものを入れると抜けそうな気がする。
1999年3月 我々のシャック入り口周辺の林道が舗装されました。 また7月より林道が臼杵市望月林道へ接続し便利になった。無線小屋までの林道は尖った岩が多く、台風の大雨で路肩が崩れ通行不能になることも多かった。 あるときは、林道でタイヤ側面を尖った石が貫通しバースト。 ジャッキアップしタイヤ交換して走ってまもなく別のタイヤがパンクしてしまい、スペアタイヤが無く救援を頼んだこともあった。
でも、1999年林道が待望の全面舗装されてタイヤが痛むことも無く時間も大幅に短縮されるようになった。 林道から無線小屋までの取り付け道路には道路補修で撤去されたセメント板を敷き詰めた。 このお陰で急峻な坂道でも道路が崩れることが無くなった。 セメント板、産業廃棄物で値段はただなのだが、大型トラックでここまで運んでもらったので数万円支払った。 運転手の小遣いになったのだろう。