平成17年11月 園便りより
ふれあい広場に出かけました。 台風で倒れた木の大きさにびっくり! 青い空が綺麗な一日でした。
先月の運動会は三年ぶりに晴天に恵まれとてもすがすがしい一日を過ごすことが出来ました。 これも、ご協力いただいた保護者の皆さんと、楽しみながらも一生懸命練習した子ども達のおかげだと感謝しているところです。 また、参観や修園旅行もあり、秋はとても盛りだくさんです。 運動会やお楽しみ会、それに参観での挨拶でしかお話しする機会が無く保護者の皆さんには、園長のイメージがつかみにくい方もおられると思います。 もちろん個別に相談やお話をされた方もいらっしゃいますが、園長に対してどんな印象をお持ちでしょうか。 そこで、私を取り巻くいろんな事項を列挙し何となく想像していただければと…。 父も母も浄土真宗の寺の出身。 また兄弟は四つ下の弟一人、父は向洋保育園創設園長で、母は保育士という環境で育ちました。 なんだかまじめ家庭のように思えるでしょうが、、私はいい加減なところが多々あり、父もかなり面白い人でした。 生後9ヶ月で小児麻痺に罹り、右足等の麻痺がまだ残っています。 麻痺した筋肉が正常な筋肉に引っ張られて脊椎が湾曲。 四歳の時に一人で別府国立病院に入院し、小学四年の一年間は別府発達医療センターに入っていました。 よく転んでズボンの膝がすぐに破れてしまうのを覚えています。 性格は負けず嫌いなのか小学校期間はけっこう激しい喧嘩もしていました。 脊椎の湾曲は段々と進行し内臓を圧迫するということで中学へ入学してすぐに、九大医学部で矯正手術(金属棒を背骨に沿わせる)を行いました。 半年以上学校を休んでいたので、復学したときには数学や英語はチンプンカンで苦労しましたが、友達は多い方だったと思います。 しかし、身長の伸びと同時に矯正金属が伸びる仕掛けでしたがうまくいかず成人した後も身長はほぼ中一のまま、伸びはすべて曲がりになって背中に大きなこぶを背負った体型となり、内臓圧迫がまたも心配されましたので再手術を行いました。 二度目の手術で湾曲はかなり改善し身長が一気に十a以上伸びて自分の足がとても遠くに見えました。このときの手術は金属棒の除去や再装着など激烈な痛みとの戦いで麻薬に近い成分の痛み止めを処方されていました。 この手術後体重が増加してしまい今に至っています。 今思えば小児麻痺のお陰でいろんな経験をすることが出来たとも思っています。趣味は高校の無線部から引き続きアマチュア無線、それに魚釣り、また、趣味とは少し違いますがボーイスカウト活動も行っています。 どうでしょう、なんとなく私のことイメージできたでしょうか? さて、今月は、運動会の感動も冷めないうちにお楽しみ会の練習が始まります。 各クラス、子ども達の発達に合った演技内容で保護者の皆さんが楽しめるプログラムを思案中です。 ご期待下さい!。 |