年明け早々能登で大地震が発生しました。さらに津波も起きて現地は一ヶ月たっても悲惨な状況のようです。 少しずつ電気や道路、水道が復旧されていますが、日常生活にはほど遠い状況でしょう。
能登は津久見と同じ過疎地ですが、地震が起きたタイミングが悪かったですね。 コロナ規制も解除されて初めての年越しで、大勢の帰省者で地域人口が大きく増加していたでしょう。その多くの帰省者が地震や津波に巻き込まれてしまいました。
輪島市では大規模火災も発生し、家屋の下敷きになった人々が大勢亡くなりました。 妻と子ども四人を亡くした人のインタビューは見ていてとてもとてもしんどいものでした。
とても大変でしょうし時間もかかるでしょうが少しずつでも復興されることを願っています。
その能登への救援物資を運ぶ任務に就いていた海上保安庁の航空機と日航の旅客機が滑走路上で接触爆発した事故を、リアルタイムでニュースで見ていました。
内部も炎に包まれた機体の映像を見て大惨事だと思っていましたし、全員脱出の速報テロップを見ても、あの勢いの火災から逃げられるなんてとても信じられませんでしたが、徐々に事故の続報が届いて、旅客機側は全員が無事に脱出した確認が取れ、本当に良かったです。 旅客機クルーの適切な指示と乗客の協調性は素晴らしいもので海外の報道でも奇跡だと絶賛されていました。
海上保安庁の航空機は一名が助かりましたが残念ながら五名は亡くなられました。
このように散々な年明けでしたが、その暗い気持ちを吹き飛ばすように二十歳の集いを六日に向洋保育園で開催し、17名の卒園者が参加してくれました。
今回からタイムカプセルを皆で開けるというイベントが始まりました。
卒園時に保護者と製作した卒園記念の本棚内部に収納していた記念品とそれぞれいろんな思いで対面し素敵な時間を過ごしたようです。卒園してから14年という月日が流れていますが、一気にタイムスリップしたような感じでとても懐かしそうでした。
当時の自分や、家族の方の気持ちに対面するのは感慨深いことでしょう。側で見ている私もしばらく懐かしい気分に浸りました。 それに硬筆教室の美舟先生がお祝いの扇子を書いてくれたり、給食室の先生もでかでかプリンやガトーショコラなど沢山の手作りお菓子で盛り上げてくれました。私もアクリル板に名前を彫刻したプレートをプレゼントしました。
当時から勤務している先生も多く、二十歳の集いに集まってくれた卒園生もとても喜んでくれたようです。 皆さん二十歳おめでとう。
二十歳の集いが終わってほっとしていた矢先、義母が亡くなりました。 お通夜・葬儀とバタバタした時間が過ぎて、先生方には大変お世話になりました。
親の健康が気になる歳になったと感じています。
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