園便り500号に寄せて 川野歯科 院長 川野尊生

保育園の思い出

 先日、今年の春の歯科検診を無事終えることが出来ました。園歯科医として、毎年春と秋、年2回園児の歯の検診をさせていただいている。検診前から泣く子・泣くもんかと頑張ってる子・大変不安な顔になる子・急に静かになる子等々毎回の景色だが、いつも楽しく検診させていただいている。特に、0歳児から就学前児童をあずかる園と担当の先生たちの奮闘ぶりを目の当たりにして、いつも感心させられている。
 実は、私も60年前の卒園生です。現在セメント町にある「蓮照寺」の境内で、保育園の2期生として学びました。(実際は、境内を走り回っていた気がする。)
 当時のことを思い起こしてみると(正確ではないが)、お寺の床下によく潜って叱られた記憶がある。床下の暗い奥には何か変な物がいるとか言って、探検ごっこと称しては潜って遊んでいた。変な物の正体は何だったのか未だ定かではない?しかし、潜るたびに古銭を見つけてはお互い自慢しあっていた。それは、お寺にお参りの方々の年代物のお賽銭だったと思われる。そのまま長い間放置されていたなんて考えると、大変のんきな時代であったなぁと思う。また、当時は現在のように給食はなく、手弁当でした。
 冬になると弁当は冷たくて辛かったが、ある時を境にして箱形の大きなやぐら炬燵を備 え、弁当を温めてくれて、その思いやりが大変嬉しかったことなど懐かしく思い出される。 行事も、運動会はなかった(と思う)が、冬には映画館を借りてお楽しみ会があり、独唱させられた記憶があります。(何を歌ったか思い出せない。)
先代の園長先生と、生前そのことを懐かしくお話しする機会があったが、「お前は特に声が大きく、うるさかったせいだ」と言われたことも思い出されます。

 年二回、歯科の検診を行って下さる川野先生。

 先代の園長、渥ちゃん先生は大変な毒舌家で有名でした。世間に一家言あり、いつも怒っていた気がする。正義感が強く曲がったことが嫌いな、頑固一徹で、こよなく煙草を嗜み、クラッシックを愛する温かい人間味ある先生でした。
 弱点は「歯」でした。歯の治療は大変苦手で、当初は痛いとき(よく歯茎が腫れていた)のみ来院し、痛みが止まると来なくなりを繰り返していたが、ある日を境に急にまじめな患者さんに変貌している。今回その時(20年前)の資料(治癒までの通院記録)が3件残っていて懐かしく拝見しました。そして、その都度「絵手紙」を戴いている。絵手紙には必ず私の体を気遣い心配してくれてる文章が添えられている。(最後に掲載)
 口では私に辛口の言葉を発していたが、先生の思いやりの一端を垣間見た気がします。ただひとつ、渥ちゃん先生の喫煙(ヘビースモーカーだった)については、「煙草はよくない、体によくないよ」と診療所や会うたびに箴言していました。が、あの頑固さで一向に耳を貸すこともなかった。煙草で病魔に取りつかれたと私は思っている。私としては残念でならない。もう少し長生きしていただいて色々お話をしたかったし、アドバイスをして欲しかった。
 いま、私の手元に毎月「向洋保育園だより」を届けて戴いている。いつも楽しく読んでいます。拝見して感心するのはきれいにレイアウトして掲載されている給食のよく考えられたメニューの豊富さにびっくりです。今の子ども達は大変恵まれて羨ましく思います。向洋保育園は、いま地域に密着した園として、発展的に進化しているように感じられます。先代がその礎を築き、現園長の努力でそれを立派に発展させ開花している様子を窺って、卒園生として頼もしく嬉しく思います。
今年向洋保育園は創立62周年を迎えたとのこと、半世紀以上続いた歴史は、それまで関係した先代園長・現園長とご家族・園のスタッフの方々の大変な忍耐と努力のもとで築かれたものだと思います。いま、世の中が大変難しい状況になっていますが、これから将来を担う子ども達を預かる保育園の存在する意義は、大変重要だと思われます。

 向洋保育園のますますの発展を祈念して
                   平成22年  夏     向洋保育園第2回卒園生  川野尊生


第二回 向洋保育園卒園児写真  左後は蓮照寺山門 右端奥は鐘楼 
                川野尊生先生は一番後ろの列だろうか? 



川野先生が寄稿と一緒に持ってこられた前園長の絵手紙のカラーコピー。
                       大切に保存していただいてとても有り難いです。